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古絵葉書ブログ
神戸の多門通から兵庫区の三角公園を撮った写真。右側の道路は大開道で、左側は柳原線である。この道は兵庫駅に通じていたが、今でもそうである。撮影者は新開地を背にしているが、ここは第二次世界大戦までは神戸の商業と娯楽の中心で、劇場が多くあることで知られていた。見たところ大した場所ではないが、この辺りは実際神戸発祥の地である。
現在我々が兵庫区として知っている辺りは、元来兵庫村で古く、輝かしい歴史がある。日本書紀には201年に神功皇后がここに生田神社を建てたという記述がある。
長い年月の間に、優れた港が発達した。奈良時代(710~794)と平安時代(794~1185)には大輪田泊と呼ばれ、日本から中国への外交使節が出発する港の一つだった。
1180年には平清盛が自分の孫だった安徳天皇を近くの福原に移した。ここは現在では風俗街だが、この写真の場所からは歩いて行ける距離にある。天皇は5ヶ月後には京都に戻ったが、その間ここは実質的に日本の首都だった。
4年後の1184年には、この辺りで平家と源氏の間の大きな合戦があった。これは源平合戦の中での最終的な戦いの一つ。
鎌倉時代(1192~1333)、この港は中国やその他の国々との交易で栄えた。兵庫津として知られるようになったのは、この時代。
1868年には、兵庫港は外国貿易港として正式に開港。横浜(1859年)、長崎(1859年)、函館(1859年)それに新潟(1869年)と並んで、日本が最初に開港した港の一つ。しかし外国人達は、居留地を作る際湊川の対岸にあった神戸の村を選んだ。.
1889年4月1日には、兵庫と神戸は合体して神戸市となった。
今は、この絵葉書の頃とはかなりの変わり様である。大開道にはこの写真に写っている路面電車はないが、人出の多い大通りである。三角公園は今も公共交通機関のハブとして重要で、この地下には神戸高速鉄道の東西線が南北線と接続する新開地駅がある。

1937年(昭和12年)の神戸の地図 1.大開道、2.柳原線、3.三角公園、4.新開地、5.福原、6.多門通。
神戸の多門通から兵庫区の三角公園を撮った写真。右側の道路は大開道で、左側は柳原線である。この道は兵庫駅に通じていたが、今でもそうである。撮影者は新開地を背にしているが、ここは第二次世界大戦までは神戸の商業と娯楽の中心で、劇場が多くあることで知られていた。見たところ大した場所ではないが、この辺りは実際神戸発祥の地である。
