OLD PHOTOS of JAPAN, 日本の古写真:明治、大正、昭和、古い写真を通して「日本」を知るフォトブログ

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1860年代から1930年代の日本の写真。1854年、日本は200年以上続いた鎖国を解き、それは真に驚くべき変換の引き金となりました。運命のように、ちょうどその頃すでに写真が発明されていました。古い日本が消え、新しい日本が生まれるにつれ、挑戦心ある写真家たちが写真を撮りました。古い日本の珍しくまた貴重な写真から、当時の暮らしを見ることができます。
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1920年代の神戸 • 兵庫県庁

タグ: 撮影者未詳明治神戸
ツール: 地図写真利用許可文章利用許可 お気に入り

人力車が2台、兵庫県庁の前に停まっている。兵庫港は日本で最初に西洋との貿易のために開港した港の一つで、直ぐに洋風のものなら全て取り入れた。この県庁舎をフランスルネサンス様式で設計したのは建築家山口半六(1858−1900)で、完成したのは1902年(明治35年)。この絵葉書は1907年(明治40年)から1918年(大正7年)の間に撮影したもの。

兵庫県庁が建てられたこの場所には、大資産家として知られていた前オランダ領事コータルスの住まいがあった。ジャパン・クロニクル紙の創業者で編集人でもあったロバート・ヤングは、同紙の1918年創刊記念号に、コータルスが昔の自分の家を訪ねて懐かしがった様子を伝えている。

「以前から居留地には多くの建物があり、外国人は丘の上にバンガローを建て始めた。最も早く建てられたものの一つは、オランダの貿易会社のトップでオランダ領事でもあったコータルスが建てたもので、現在県庁のある場所にバンガローを建て、隣接して広大な庭を造った。現在その庭は下山手通りが通っている。」

「後年、バンガローと土地は日本人の手に渡り、建物は商業博物館になった。現在の県庁舎はその後この敷地内に建てられた。」

「何年か後で、コータルスは旅行で日本を訪れ、彼と夫人が藪に植えてその時未だ県庁敷地に保存されていた薔薇の花を幾つか摘む許しを得て、摘み取った。」1

第二次世界大戦のアメリカ軍による集中焼夷弾爆撃で、建物の外壁だけが残ったが、終戦後には再建されて昔の栄光を取り戻した。現在は兵庫県公館という名前で、集会や会議、卒業式やVIPの歓迎に利用している。


1891年(明治24年)の神戸市街図:1.兵庫県庁、2.三宮駅


1929年(昭和4年)の神戸市街図: 1.兵庫県庁、この地図では三宮駅は未だ昔の場所にある。この駅が現在の場所に移ったのは1931年10月10日のこと。旧三宮駅は、1934年に元町駅として再開。

1 Young, Robert (1918). Japan Chronicle: Jubilee Number 1868-1918.

撮影者: 撮影者未詳
発行元: 栄屋商店
メディア: 絵葉書
写真番号: 71203-0004
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<a href="http://oldphotosjapan.com/ja/photos/201/hyogo-kencho-jp">1920年代の神戸 • 兵庫県庁</a>

人力車が2台、兵庫県庁の前に停まっている。兵庫港は日本で最初に西洋との貿易のために開港した港の一つで、直ぐに洋風のものなら全て取り入れた。この県庁舎をフランスルネサンス様式で設計したのは建築家山口半六(1858−1900)で、完成したのは1902年(明治35年)。この絵葉書は1907年(明治40年)から1918年(大正7年)の間に撮影したもの。

画像のURL: http://oldphotosjapan.com/images/263t.jpg
Posted by Kjeld Duits • 2008-04-08
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