1900年代の横浜 元町からの眺め
前田橋(前面中央)に向って延びている通りが元町で、魅力的な商店が本拠を構えている。橋を渡ると本村?通になる。この通りを途中まで歩いて小田原町まで行き、左に曲がると横浜の中華街の中心に行き着く。ここは、この頃の外国のハンドブックには、「悪臭を放つ」と書かれている町。この写真の上のほうの左側の加賀町は、倉庫や茶の加熱を業とする倉庫が数多くあることで知られていた。
Old Books on Japan
イーベイで日本に対する英語の古本を見つけましょう!
Japanese Friends
サイトメンバー、1万5000人を超える人たちと友達になろう!
JapaneseStreets
日本のストリートファッションを紹介するウェブマガジン(英語)
MeijiShowa
明治、大正、昭和初期の日本の写真、地図、イラストなどのストックフォトジェンシー
前田橋(前面中央)に向って延びている通りが元町で、魅力的な商店が本拠を構えている。橋を渡ると本村?通になる。この通りを途中まで歩いて小田原町まで行き、左に曲がると横浜の中華街の中心に行き着く。ここは、この頃の外国のハンドブックには、「悪臭を放つ」と書かれている町。この写真の上のほうの左側の加賀町は、倉庫や茶の加熱を業とする倉庫が数多くあることで知られていた。
女性が二人と男性が一人、着物姿で畳の上の座布団に座っている。この部屋は襖で仕切られた広い部屋で、旅館の一室のようだ。男は見事な木製の火鉢で手を温めているが、これは湯の保温に使われたもの。前に座っている女性は、お茶の用意をしているようだ。
大阪の高麗橋が最初にできたのは、豊臣秀吉(1536~1598)の時代。大阪には公儀(幕府)が架けた橋は12しかないが、その一つで1598年に完成した巨大な豊臣の大阪城の外堀だった東横堀川に架かっていた。高麗橋から城の巨大な天守閣が眺められるように架けられていた。この橋は城と、商いの場だった船場をつなぐ橋として大阪の歴史を通じて極めて重要な役割を演じて来た。